日々是好日(続日々是元気)

メモがわりの日記。備忘録。旅行とかご飯とか。日々是元気の続き

身の回りから・・

この震災であまり被害のなかった私は生活が落ち着くといてもたってもいられなくて、
近くの小学校に行ったり、近所に声かけたりだけじゃあきたらず
ボランティア登録しようと思って登録場所に向かった時に
ふっとマザーテレサを思い出していた。

今いる自分の家庭と自分の知り合い、無理しない範囲のご近所さん、
できる範囲の中で生活や精神を支えてあげられればいい。
ここから始まるから。焦らずいこう。無理のない範囲で。
まだここからやらなきゃいけない事、長丁場でやる事が増えると思ってる。


ネットにも出ていたのでコピペです。↓

マザー.テレサの生き方は今では世界の多くの人に知られており、
彼女の主な 奉仕の場であるカルカッタには、世界中からたくさんの見学者、
ボランティアが 訪れています。
その人たちの多くは「マザー、私たちは何をしたらよいでしょう が」と質問するそうです。
多少「少し手伝ってください」という答えを期待して の質問かもしれませんが、
マザーは決まったように、次のように答えるそうです 。
「皆さんはすぐにお国にお帰りなさい。そして皆さんの最も近いところから愛の行為、
人を大切にすることを始めてください。愛は最も近いところから始まる のです」と。

「私たちの最も近いところといえば、それは日常生活の場である家庭であり、
職場であり、学校です。そこで本当の意味で大切にされていない人が
いるかもしれません。
家庭でご主人は自分の本当のことを奥さんから理解されないで
苦しんでいるかもしれません。
反対に奥さんは、ご主人から自分の望みを分かってもらえないで
悲しんでいるかもしれません。
子供たちも、ご両親から若者の心が理解されないで
ふさぎ込んでいるかれ知れ ません。
ご両親は、こんなにも子供たちを愛しているのに分かってもらえないと
嘆いているかも知れません。
お年寄りは若い人から、若い人はお年寄りから理解 されないで、
互いに孤独でいるかも知れません。
病人は健康な人から、健康な人は病人から、
互いの心が分からずに苦しんでいるかも知れません。
職場で同僚の一人が目上の人から誤解され、
同僚からも理解されずに苦しんでいるかも知れません。
学校で語り合う友だちがなくて、
校庭の片隅にたたずんでいる者がいるかも知れません。
私たちの最も近いところに大切にされることを待っている人が
いるかも知れません。
愛はそのようなところから始まるのです。」